道南の山と花・蝶・鳥2

道内の山を中心に登ったり、花や蝶、鳥などを撮っています。ヤフーブログではバタフライでアップしており、ネパール、カナデアンロッキー、Nzなどのトレッキングもアップしています。

カテゴリ: ネパール(ランタン)

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いよいよカトマンズへ戻る朝を迎えた。
バスから、風景を眺めてのんびりと考えていたのがあてがはずれ、辛い10時間のバスの旅となった。

チャーターされたバスは二台で、一台は我々、サーダー、シェルパ、コックが乗り込み、他の一台にはポーターとテントなどの荷物が積まれた。後ろのバスには、屋根の上にも人が乗った。バスはインド製でTATAとかかれていた。日本のバスに比べると、とんでもないシロモノである。スプリングが効いていない、座席の間隔が狭く、足の置き場がない。おまけに、狭い未舗装の斜面を走る道である。わたしにとっては、山道を歩くよりはるかに辛かった。膝が前の座席にすれ、血が滲んでくる始末であった。この傷が治るまで、帰国後数日を要した。足が長いのも困るものである。

12時近く、トリスバザールという町に到着。標高500m、カトマンズより低い。カトマンズまでまた登りかえしがあることになる。日差しも強く暑い。
昼食は、ダルというカレー風のものを食べる。この時は、シェルパたちと一緒に食べた。スプーンがあるが、彼等は手で食べていた。ネパールやインドの人たちの習慣である。

先のマウイストの事件による影響で、7回ほど検問を受けた。我々日本人は、バスから降ろされることはなかったが、ネパールのスタッフはその度に降ろされ、名簿や荷物のチェックを受けていた。バスが検問所から出る地点まで、歩かされていた。
鋭い眼光と銃を向けられ、あまり良い気持ちにはなれなかった。

6時30分に出発して、5時30分ようやくホテルに着いた。なんと、11時間もかかった。
ホテルでシャワー、髭剃りをし、着替えてさっぱりする。

VanVanという、日本人経営の店に食事に行く。主人は若い頃、植村直己さんとネパールの山を登っていた方であった。
鴨鍋をメインに雑炊、砂肝、酢の物、手打ち蕎麦を食べた。とても美味しい。
料理が900ルピー、ビール160ルピーであった。(1ルピー=1.7円)


ネパールトレッキングとして、「エベレスト街道」、「ランタン谷」アップしてきました。長い間、訪問ありがとうございます。
ネパールシリーズは、またその内に「アンナプルナ」などを折を見てアップしたいと思います。

なお、トレッキングシリーズは次回から「中国タークーニャンの青いケシ」の予定です。


【段々畑と車道】
【店】
【山よさよなら】
【段々畑】
【バス道路】
【食堂】
【町の子ども達】
トリスバザールの子ども達。町の子どもは人慣れしていて、デジカメ画像を見せてくれという。

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最後の晩餐ならぬ夕食のために、鶏さんが3羽ほどしめられたようである。鶏ガラからつくったスープがとても良い味だった。トレッキングで初めての肉であったが、かたい鶏だった。
最後に出たケーキは工夫されていた。ランタンリルンを白の生クリームでつくり、赤いジャムでHAPPY NICE TREK SEE YOU AGAIN と書かれていた。ケーキの周りは赤いガーガの花びらで飾られていた。おりしも、この日がメンバーのsakaguさんの誕生日と重なった。

夕食後、サーダーをはじめ、シェルパ、コック、ポーターが食堂に集まり、宴が繰り広げられた。マウイストの事件後、集会のようなものは禁止されているとのことであったが、盛あがった。
サーダーからロキシーが振る舞われ、酔いが回る頃には、歌が出、踊りが出、即席の演奏がなされた。
トレッキング中、見られなかった一面を見せてくれたネパールスタッフもいて、とても楽しかった。我々も、函館の女、雪山賛歌、そうらん節などを歌った。

旅のフィナーレの心地よい余韻を残して、テントへ戻った。

【遊びをする子どもたち】
のぞき込んでも、嫌な顔をせず遊んでいた。
路上では、少年たちがサッカーをやっていたので勝手に入るが、変なおじさんにはなかなか球をまわしてくれない。それでも、かわいそうに思ったのか、球がまわってくるようになった。

【編み物】
メンバーの女性が編み物に挑戦していた。

【ディナー】
明るい照明のあるところでの、夕食は何日ぶりだろう。

【ケーキ入刀】
入刀しているのは、ツアーリーダーの佐々木さん。彼はダウラギリ喫?複牽隠僑沓蹇砲療伉困鬚呂犬瓠▲リマンジャロ登頂30回など、日本山岳ガイド協会に籍を置く国際ガイドである。

【宴1】
ダンシングタイム。ネパーリーダンスは、リズムに合わせて体を動かしているなんとかなる。ジルバでも踊れた。

【宴2】
右のカップを持っている方が、コック長。

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シャブルベンシの町が見えてきた。結構大きな町である。ここまでバスが入るようになり、電気もひかれている。山の斜面には、中国へと続く道が見えている。
この集落はシャブルの方にあるのでついた名前とのことである。ベンシはネパール語で下という意味。

二つの吊り橋を渡り、シャブルベンシのBUDHAゲストハウスに到着。この前庭が最後のテントサイトとなる。なかなか立派なハウスで、テントよりもハウスのベットで寝たかった。

テントが設営されるまで、ビールで乾杯。暫くぶりのビールはあまり冷えてはいないのにもかかわらず、うまい!一本170ルピー、日本円でいうと、270円ほどだ。

ハウスには花が植えられており、ペチュニヤ、ナデシコなど日本でお馴染みのものが多い。ハブラシを思わせる、ホトブラシという木も花を咲かせていた。アゲハ、マダラチョウ科の蝶が飛来していた。ここは、標高1430mで、気温もかなり高い。

夕食まで時間があったので町をぶらぶらした。

【ビールで乾杯】

【BUDHAゲストハウス】

【薪を運ぶ少年】
山の村から、運んで来たのだろう。

【最後のサイト】
後ろに見えるのが、ホトブラシ。

【牛が行く】
町は賑やかだ。子ども達、牛、羊、鶏、犬があちこちに。猫は少ない。

【山羊が行く】

【路線バス】
定員なんて無いのだろう。車内も屋根の上まで人で溢れている。

【薪を運ぶおばさん】

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標高がどんどん下がるにつれ、植生も変わってくる。
日本では見ることのできない、キタコブシのような樹木に赤い花を咲かせているものが見られた。シェルパに聞くと、メンドポウルと教えてくれた。町の入り口で、地元の人はカーガと教えてくれた。
これは、シェルパ語とネパール語の違いのようである。

【サボテン】

【吊り橋を行く我々のポータ】

【早春の渓】

【ゲラニュウムsp】
フウロソウ科フウロ属。小型の花であるが、色が非常に良かった。

【カーガ】
花はモクレンのように、大きい。

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ランタンをシャブルベンジンへ向かって出発。
一時間ほど歩き、2150mのチェンダンで一休み。コーラは80ルピー(130円)、小さなリンゴ60ルピー(110円)でロッジに並べられていた。ポーターの日当が300~400ルピー(500~700円)から考えるととても高い。

吊り橋を渡り、さらに下るとバンブーという所に出た。この辺りのロッジは造りがしっかりしているし、人々の服装も小綺麗である。

さらに下ると学校から戻ってきた、小学生の一団に会う。
身なりも良く、「ナマステ」と挨拶もしっかりしている。大きい高学年の子が低学年の子をしっかりサポートして歩いている。途中学校らしき建物はなかったので、上の尾根の方の集落に学校があるのだろう。往復かなりの道のりのように思える。

途中の小さなロッジの前で、小学生の姉妹が洗濯をしていた。もちろん、電気洗濯機はあろうはずがなく、足洗である。平らな石の上に洗濯するものを置き、石けんをつけて足で踏んで洗濯するというやり方である。

【崖崩れ】
ランドスライムと呼ばれている場所で、道が決壊している。巻き道がつくられていた。

【バッテイの娘さん】

【機織りのおばさん】

【昼食準備】
メニュウはうどん、おにぎり、いも、おひたしなどだった。

【洗濯する姉妹】

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14時、ラマホテル(2480m)に着いた。

ラマホテルというから、立派なホテルを思いつきそうであるが、全く違っている。狭い谷間に数軒のロッジがへばりつくように建っているだけである。最初に建ったロッジの名前が、そのままここの地名になったそうである。

川の音が少し気になり、寝付きがあまりよくなかった。明日はいよいよバスが来る村、シャベルベンシンへ下るという安堵感があった。テント生活も7日目、そろそろシャワーを浴び、ベットで眠りたいという気持ちが出てきたのは歳のせいか。

夜、テントから出てみると、雨も止み月と星が出ていた。気温も低くないので、しばらく眺めてからテントに潜り込んだ。

【竃】
このロッジのかまどは、立派なものだった。

【台所】
食器や鍋はぴかぴかに磨かれている。

【ロッジ】

【荷物が通る】
運ぶ人は、この山道でサンダル。山道といっても、ここの人にとっては国道みたいなもの。

【菜園】
ロッジの裏の狭い場所にしか、畑がない谷間。

【渓】

【吊り橋】
コースにはいくつも吊り橋があるが、立派な吊り橋だ。

【コーラ】
氷河の影響で白濁しているが、美しい川の風景だ。

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渓流沿いの道をどんどん下っていきます。

花も見られるようになり、春の雰囲気です。
日本の花と似ていますが、ネパールですので同定までできません。科と属までにとどめておきます。

【キンバイの仲間】
バラ科キジムシロ属

【ノウゴイチゴに近い】
バラ科オランダイチゴ属

【スミレ】
スミレ科スミレ属

【シャクナゲ】
ネパールの国花

【マメ科】

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ゴラタベラから、10分ほど下がったあたりから、谷底に向かって急斜面をジグを切りながら下りて行く。
氷河によって出来たゴラタベラ上部のU字谷と異なり、川の浸食によりできた顕著なV字谷である。
急流が水しぶきをあげて流れている。

樹林帯のルートで、赤、ピンク、白のシャクナゲが美しく咲き、ジンチョウゲがよい香りを漂わせている。

アップダウンのある道をどんどん下がる。それにつれ、緑がどんどん多くなり、同じ植物でも生育が進んでいる。花もみられてきた。

【吊り橋】
V字谷に架かる吊り橋。

【渓】
白濁しているのは、雲母などを含んだ氷河から流れる水のため。

【シャクナゲ】
アンナプルナ、エベレスト方面から、みると木の大きさが小さい。ゴラパニ峠あたりでは、20mの大木が山一面にみられる。

【谷沿いの道】
日本の山道を思わせる。

【休憩】
休憩できる、バッテイがところどころにある。
外にある、ぼっとん式のトイレも利用できる。

【むすめさん】
上のロッジの娘さん。

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快晴のランタン村を出発する。

ヘリで降りたゴラタベラを通り、ラマホテルまで下る行程である。標高差にして1000mある。

11時頃、ゴラタベラに着く。ヘリが来て他のトレッカーが到着する。中高年の日本人だ。雪でぼろぼろになった我々の顔を見てびっくりしている。雪が消えたので、彼等は我々のようにはならないだろう。

【ヤギとおばさん】
村と村をつなぐ生活路。

【ランタン・リルン】
ピークが遠くになった。

【吊り橋】
来たときは雪の中だった。

【雪煙】

【のんびり休憩】
バッテイ(茶屋)で、コーラとかミルクティなどがある。

【昼シャン】
若いシェルパは頭を洗い、ブラシで髪を整えている。町が近くなったので、お洒落をしているのである。我々は汚れたままである。

【昼食】
メニュウは蕎麦、イモなどであった。デザートのスイカが美味しかった。

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朝は、気温がまだ低いので寒い。ダウンを着込んでいる。

今日も快晴、朝日があたる岩山が美しい。

【朝日があたる岩山】

【まだ寒い】

【快晴】

【白きピーク】

【朝のサイト】

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